AJEC第17期10月編集講座「『小学生がたった1日で19×19までかんぺきに暗算できる本』大ヒットの秘密」を受講して

【講義内容】
◎オンライン講座
 「『小学生がたった1日で19×19までかんぺきに暗算できる本』大ヒットの秘密 
           ~はじめて手掛けた学習参考書が50万部を超えた理由~」
     講師:吉田瑞希(よしだ・みずき) 氏
       書籍編集者(ダイヤモンド社・書籍編集局・第一編集部所属)

【講師略歴】
2015年入社。新卒でダイヤモンド社に入社後、書店営業部で埼玉県、北関東、新宿区などの都内と中部地区の書店を担当。19年よりダイヤモンド社・書籍編集局・第一編集部に配属。主な担当書は『「繊細さん」の幸せリスト』(10万部)『すごい左利き』(15万部)『小学生がたった1日で19×19までかんぺきに暗算できる本』(50万部)など。
ハリネズミが好き。

     ──AJECの講師紹介から

 吉田瑞希さんが編集担当をされた『小学生がたった1日で19×19までかんぺきに暗算できる本』は、2022年12月6日に初版が出版されて、今年の8月で累計50.5万部になりました。もともと、学習参考書として、コツコツ売れる本を目指したと吉田さんは言われていました。それが、ベストセラーになってしまいました。

 それを手がけた書籍編集者・吉田さんに、『小学生がたった1日で19×19までかんぺきに暗算できる本』の出版・編集の経緯やヒットの背景・秘密、編集手法などについてとてもわかりやすくお話をしていただきました。

 吉田さんは、新卒でダイヤモンド社に入り、最初の4年間は書店営業部で書店周りを経験されてきました。その体験が吉田さんの企画づくりにとても役立っていたようです。どちらかというと、私たちの情報収集はネットなどに頼りがちですが、吉田さんは、書店を回っての調査の面白さと重要性を自らの体験を通して教えてくれています。

 ここでは吉田さんの講座の流れをスライド順に紹介します。


<講義内容>
1)企画について──きっかけと疑問
<コンセプト>著者からの提案型
・著者の小杉拓也先生から提案のあった「小学3年生が対象の19×19まで暗算できる本」
 →直観的に「おもしろそう!」と思った
<疑問>そもそも学習参考書ってどんなジャンル?
  ①「本」と「ドリル」はどう違うのか? この企画に合うのはどちらか?
  ②他に、どんな暗算本があるのか?
  ③読者はどんな人?
  ④どんな売れ方をするのか?
  ⑤この本が売れる可能性は?

2)市場を知る──企画書を書く前の準備
・疑問を解決するために書店で棚を観察する
 →ネットで見るよりも、得られる情報の切り口が多い
①「本」と「ドリル」はどう違うのか? この企画に合うのはどちらか?
 ドリルはシリーズ物が多く、シリーズに参入するのは難しいので、本として発売し、小杉先生のコーナーに並ぶようにする
②他に、どんな暗算本があるのか?
 「インド式」などの2桁暗算本があるが、99×99の暗算法を解説していて、小学生が短時間で理解するには、難しい
③読者はどんな人?
 小学生とその親、脳トレをしたい大人
④どんな売れ方をするのか?
 長期休みのタイミングで安定して売れる
⑤この本が売れる可能性は?
 19×19にしぼった類書はなく、小学3年生で19×19ができればすごい。また、今まで知らなかった計算法(おみやげ算)が学べる。コツコツ売れる本を目指す
※書店に行くと新たな発見があり、「棚の解像度(話題書ではなく、本が普段おかれている棚)」=「読者の解像度」が上がる

3)企画書を書く──いちばん時間がかかる作業
・企画は上流から
 →これまで上手くいった本は、タイトル、メインコピーが完成品とほぼ変わらないことが多い。
【構成案は誰にいちばんピントが合っているか考える】
・この本は、小杉先生の提案であり、読者である子どもをよく知っている、小杉先生にまかせる
 →企画が先で、自分が読者のとき(『すごい左利き』の場合)は、「なぜこの本をよみたいのか」「何が悩みか」がよく分かるので、タイトル、コピー、構成案も全て自分で作成した
【大切なこと】
・企画書を各段階で、タイトル、コピー、構成を完成とほぼ変わらないくらいにする
・構成案は、誰にピントがあっているかを考え、いちばん合っているひとが大筋をつくる

4)つくる──読者は拡げない
「いちばん読んでほしい人」だけのためにつくる
・子どもが躓かないような「スモールステップ」の構成
 →ずっと「できる」実感をもって解けるから、達成感や満足感がある。
・お勉強感がない、楽しげなカバーデザイン
 →子ども自身が手に取りやすい
・「脳トレ」要素は打ち出しすぎない
 →カバーに小さくテキストを配置

5)拡げる──深く刺さる人が多いほど拡がる
【重版推移】
  2022年12月6日配本:初版6000部
  2022年12月12日:2刷6000部 
  【展開を話題書に拡大】
  2022年12月26日:4刷り3.2万部
  2023年1月23日:6刷り3万部
  2023年8月7日:⒖刷り3万部累計 50.5万部
【読者の割合と感想】
・小学3年生に向けてつくった本は、60代以上の読者がおよそ4割
・感想ハガキは小学生と60代以上に2分化
・大人からは、「ずっとできるから、自己肯定感が上がった」などの感想あり
 →タイトルにあえて「小学生」と入れ、内容も「スモールステップ」であることで、ハードルが下がり、結果的に広がりがあった

●最後に強調された本作りのポイント
書店調査:読者の解像度を上げるには、実際に棚をみるか、徹底的に自分のためにつくるかだ
企画は上流から:完成とほぼ同じになるくらい考えておくと企画の芯もぶれず、いい1冊ができる
読者は無理に拡げない:広くとろうとすると、いちばん読んでほしい人に刺さらず、結果的に売れ損じる
自己肯定感:本書のように、ずっと「できる」、「嬉しい」といった感情は、年代に関係なく受け入れられやすいものだ

<感想>
 吉田瑞希さんは、2015年にダイヤモンド社に入社され、4年間の書店営業を経験されてから、2019年に書籍編集部に異動されました。多分、いずれ書籍編集部に異動して、自分だけができる本づくりをしようと思いながら、書店に行き、店の様子を見たり、店員さんと話をしたりしてきたのだろうなと思いました。講演後の質疑応答で、家にいるときは何をしていますかという質問に、ゲームをしていますと答えていらっしゃったのが、印象的でした。

 編集者の資質としては、この間AJECの講座で売れる本をつくってきて講演された女性編集者と同じモノをもっているような気がしました。10万部を売り上げた『「繊細さん」の幸せリスト』、15万部を売り上げた『すごい左利き』という本は、吉田さんのいろいろ気にしてしまう性格、そして、自分が左利きであることなど、普通ならどちらかというと弱みとしてしまうところを自慢できる自分の個性として捉えられるような(まさに、読者に自己肯定感を与えられるように)本づくりをされています。自分が納得するまで本を出さないというのがダイヤモンド社の社風だそうですが、自分が興味関心をもつ内容だからこそ、徹底した企画づくりができ、本がつくられているのだと思いました。

 吉田さんは、世の中がそうした本を求めているからというマーケット分析に基づいた本の企画づくりというより、自分が気にしていることは、多くの人たちも気にするに違いない、あるいは、自分が知りたいことは、多くの人も知りたいと思っているに違いないという、自分の気持ちや好奇心を大事にしているように思いました。それが、小杉先生の提案にあった「おみやげ算」に対する興味関心だったと思います。

 私も、書店店頭で山積みされた吉田さんの本を見て、中を開き、「おみやげ算」の計算の仕方を読んで、思わず買ってしまいました。確かに、19×19が直ぐに暗算できます。そして、誰かに教えたくなります。(後で知ったことですが、エディットが編集協力してつくった『インド式かんたん計算法』(三笠書房<知的生き方文庫>/2007年刊)の中では、インド式かんたん計算法として、さらにこれの発展形も紹介されていて、そちらは19×19以上の数のかけ算の方法が紹介されています。)

 吉田さんの興味関心が直感的に、タイトルやキャッチコピー、さらに表紙デザインにつながったのだと思います。そして、構成案については、提案者の小杉先生が主導して、『小学生がたった1日で19×19までかんぺきに暗算できる本』ができあがったわけです。市場調査の方法、データの見方、書店店頭での学習参考書をめぐる読者の親子の対話など、リアルの情報入手の方法は、とても興味深いと思いました。いろいろな書店を十数店以上回るというのは私たち編集者もやってみる価値はありそうです。

 ところで、私たち編集プロダクションの編集者として、とてもうらやましいのは、「企画は上流から」という考え方です。吉田さんが強調されているように、そうなっていると、「完成とほぼ同じになるくらい考えておくと企画の芯もぶれず、いい1冊ができる」ということになるからです。私たちは、企画も定かでない段階で、仕事を引き受け、構成案を考え、原稿作りをしていることが多々あります。そのため、いつまで経っても校正に終わりが来ないということにもなったりします。しかし、版元の編集者自体も企画を明確に定められないからこそ、われわれ編集プロダクションに仕事が来ることになるのかもしれません。

 さてコツコツ売れる学習参考書を作る予定が、ベストセラーを生み出したというのは、勿論、話題書になった(口コミで拡がる)からでもありますが、小さく表紙に書かれた「中学受験、脳トレにも!」ということばにも秘密がありそうです。途中から入れたという「愛読者ハガキ」の分析から分かったそうですが、読者の4割は60歳以上の高齢者で、その多くが、できたという「自己肯定感」を持てたようだというところが売れ行きに拍車をかけたのかもしれません。多分、親ではなく、祖父母もお孫さんと一緒に楽しんでいる様子が思い浮かべられます。よい結果を生んだわけです。

 ただし、今回の場合は、敢えてそういう脳トレになるという側面は、強調しないで、あくまでも「小学生がたった1日で19×19までかんぺきに暗算できる本」として、読者を小学生にしぼってつくったところが、結果的に高齢者の自己肯定感を高めるのにも役立ったようだと思います。本というのは、結局は、それが自分に向けて書かれたものであり、自分が自分を受け入れ、満足できるようにしてくれるものが多くの人の共感を得るということになるのかもしれません。私も、少しだけ二桁のかけ算の暗算に挑戦できて、満足してしまいました。

 ところで、最近のAJECの編集講座では、ベストセラーをつくった女性編集者の講演が多くなっています。そして、その人たちは、たいてい、マーケティングはするけれども、どちらかというと、自分の興味関心の方が主となって本の企画を立てています。さらに、ベストセラーになって編集者が本と共に話題になると、本作りの秘密をネットの記事などで公開しています。それは、ほとんど秘密にしていません。公開することによって、さらに売れ行きの増加に貢献しているようでさえあります。ある意味では、これらの本づくりには、著者と編集者が協働しながら行われるようになっているからということかもしれません。そして、奥付には、担当編集者名が掲載されるようになって来ました。編集者の個性がにじみ出ている本になっているように思います。

 これは、本の需要の変化と対応しているのかもしれません。つまり、現在は、需要する層がマスとしてどこかに存在しており、そこをマーケティングで見つけて、その読者向けに本をつくるということが難しくなっているということかもしれません。もちろん、特殊なジャンルの場合は、そういうことがいまでも可能かもしれません。自分も含めた読者の個性に向き合って、企画を立て、本づくりをすることによって、「そうそう、私もそう思っていたのよ」という共感する読者をつくるというか、目覚めさせるようになって、本がベストセラーになっていくような構造が見えます。ネットによって、口コミは、すぐに広まる時代になっています。そのために必要なのは、本づくりの技術というより、編集者の個性ということかもしれません。一応、ノウハウの公開のような講座の形式を取っていますが、私には、内容に対する編集者の思いというか、テーマとの個性的な出会いがとても大事なのだと教えてくれているように思われました。

 

(文責:エディット東京オフィス 塚本鈴夫)